震災による帰宅難民の実際とは

先般の大震災の時には、首都圏においても交通機関がマヒしました。物的被害も各所で見られましたが、それよりも「異常がないかどうか」を点検するためでした。このことにより、首都圏では「家に帰れない」という方が続出したのです。いわゆる「帰宅難民」という現象でした。
そのときの都心では、道路は車で大渋滞、全然動かない状態になりました。そして歩道は家に向けて歩く人で溢れていました。帰宅難民となった方々は、「その場に留まる」、「徒歩で家路につく」、「別の場所に避難する」と様々な選択をしました。
「歩いてでも帰る」という選択をした方もとても多かったようです。主要道路の商店はその多くが閉店時間になっても店を閉めず、徒歩で帰宅する方々の休憩所として場所を提供していました。当時の都心は大きな混乱もなく、誰もが整然と並んで歩いていたのがとても印象的でした。
一方、その場に留まることにした方々は、早速「物資の不足」に直面しました。揺れがおさまり、帰宅しようとする方々が見られるようになった頃から、各小売店では食糧や水が不足し始めたのです。「買占め」、「買い貯め」の始まりでした。商店で品薄になる様子が見られると、買い占めの行動は加速されました。交通機関がいつ復旧するかもわからない状態でしたから、人々は当座の食糧と水を確保するために奔走しました。
そして、帰宅することを諦め、またその場に留まることもできなかった方々は、一時的に「避難」しようとしました。ですが待っていたのは「満員」の「避難場所」でした。震災が発生したのは金曜日、平日です。都心には居住者の何倍もの人が働いています。とても公共の避難場所では帰宅困難者を全て受け入れられませんでした。他を当たろうにもどこの飲食店、ホテルなども人で溢れていました。そのまま路上や駅の近くでただ待つしかない、という方が大勢いました。
このように、都市交通機関がその機能を停止すると、「人」はなす術を失います。どの選択も辛く、そして不安な一夜であったのです。その夜は首都圏にいた誰もが、「都心の地震に対する脆さ」を痛感しました。